足柄山の金太郎

足柄山の金太郎

あしがらのきんたろう

 

小田原市の南西にそびえる箱根古期外輪山の最高峰足柄山は、足柄山の金太郎として名高い金太郎伝説を伝える山である。金太郎は足柄山中で赤竜と山姥の間に生まれた子だという。金太郎は東国から上洛する途中の源頼光に見出だされ、頼光の家来になった。この時、坂田公時と名付けられたという。公時は、その後頼光四天王の一人として、大江山の酒天童子をはじめとする妖怪退治に活躍する。
(岩崎宗純)

足柄山の金太郎に関しては8点の浮世絵作品をご覧いただけます。

列猛伝・足柄金太郎

列猛伝・足柄金太郎

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UK08-001-077
歌川国芳
列猛伝・足柄金太郎
柱絵 安政3年(1856)

列猛伝・足柄金太郎(部分)

柱絵と呼ばれる縦長の形式の浮世絵は珍しい。

列猛伝・足柄金太郎(部分)

小熊である。一緒に相撲をとるにはまだ小さすぎよう。

列猛伝・足柄金太郎(部分)

作者歌川国芳の落款と改印
この作品では朝桜楼と号している

金太郎と烏天狗

大錦二枚続柱絵

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UK08-002-078
歌川国丸
金太郎と烏天狗
大錦二枚続柱絵 文化後期(1811〜17)

大錦二枚続柱絵(部分)

カラス天狗

大錦二枚続柱絵(部分)

柱絵と呼ばれる縦長の形式の浮世絵は珍しいが、その2枚続きいうのはさらに珍しい。

大錦二枚続柱絵(部分)

作者歌川国丸の落款と改印

金時

大錦竪絵

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UK08-003-081
歌川国貞
金時
大錦竪絵 文政年間(1818〜28)

大錦竪絵(部分)

金太郎のトレードマークである金印の腹がけ。

大錦竪絵(部分)

この作品に描かれている熊は、金時と相撲をとれそうな大きさのサイズになっている。

大錦竪絵(部分)
大錦竪絵(部分)
 
 

山乳母と坂田怪童丸

大錦三枚続横絵

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UK08-004-082
歌川芳艶
山乳母と坂田怪童丸
大錦三枚続横絵 万延元年(1860)

三枚続(つづき)のうち左側(部分)
三枚続(つづき)のうち中央(部分)
三枚続(つづき)のうち右側(部分)
大錦三枚続横絵(拡大)

源頼光足柄山にて坂田金時を抱きたまふ図

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UK08-005-086
歌川芳員
源頼光足柄山にて坂田金時を抱きたまふ図
大錦三枚続横絵 安政4年(1857)

大錦三枚続横絵の中央(部分)

相撲で負けたのか、金太郎に突き落とされたのか、崖から落下していく熊。その行く末が心配になってしまうほどの断崖絶壁である。

大錦三枚続横絵の右(部分)

その情景を見つめるのは、京都で名高いゴーストバスターである源頼光の一行。この一行に金太郎が加わり、のちに頼光四天王が誕生する。

大錦三枚続横絵の右(部分)
大錦三枚続横絵の左(部分)
 
 

四天王土蜘蛛退治の図

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UK08-006-90
勝川春亭
四天王土蜘蛛退治の図
大錦横絵 文化後期(1811〜27)

四天王土蜘蛛退治の図の中央(部分)

画面の中心で松明を持っているこの人物が、金太郎改め坂田公時その人である。

四天王土蜘蛛退治(部分)

作者勝川春亭の落款等

四天王土蜘蛛退治の図の中央(部分)
 
 
 

耀武八景 市原野晴風

耀武八景 市原野晴風

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UK08-007-091
歌川国芳
耀武八景 市原野晴風
大錦縦絵 天保中期(1834〜39)

市原野晴風(部分)
市原野晴風(部分)
市原野晴風(部分)
市原野晴風(部分)

四天王大江山入之図

四天王大江山入之図

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UK08-008-092
歌川国政
四天王大江山入之図
大錦三枚続横絵 弘化4年〜嘉永5年(1847〜52)

四天王大江山入之図(部分)

このシーンには、源頼光と四天王だけでなく、陰陽師の平井保昌まで登場する。ゴーストバスター(妖怪退治)のエキスパートが総出演しているのである。

四天王大江山入之図(部分)

大江山の酒天(呑)童子退治といえば、北条氏が京都の絵師に描かせた絵図が、現在サントリー美術館に収蔵されている。

四天王大江山入之図(部分)

坂田公(金)時

 

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