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2022年03月10日(木)

下中座公演「Jazz-Bunraku―涅槃に行った猫」

(写真1)下中座ののぼり(写真1)下中座ののぼり
 3月6日(日)は、春一番が吹き荒れた前日の余波か、まだ時おり強い風の吹く日でした。それでもコートなしで三の丸ホールへ行けるほどの暖かさでした。三の丸ホール入口の両脇には、「相模人形芝居 下中座」と色鮮やかに染め抜かれた幟(のぼり)が、はためいていました(写真1)。この日13時30分より、大ホールで下中座による「涅槃に行った猫」の公演が開催されました。下中座の人形芝居は人気があり、チケット販売は既に完売だったそうです。会場で出会った友人は、家族の分を後から買おうとしたけれど売り切れだったと言っていました。
(写真2)人形出迎え(写真2)人形出迎え
 公演会場の三の丸ホール・大ホールの入口は2階にあります。1階のエスカレーター脇で、第二部「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 政岡忠義(まさおかちゅうぎ)の段」に出演する政岡の人形が出迎えていました。来場者の皆さんに挨拶をして、握手までしてくれました(写真2)。下中座の公演では、毎回、人形たちが来場者を出迎えてくれます。人形と一緒に写真を撮るのも、よい思い出になります。エスカレーター脇には吊るし雛が飾られていて、政岡の豪華な紫の打掛と艶やかさを競っていました。
(写真3)開場待ちの長い行列(写真3)開場待ちの長い行列
 開場13時の15分前には、2階のギャラリー回廊には、長い行列ができていました(写真3)。全席自由席なため、少しでも良い席をと早めに来場されたのでしょう。
(写真4)満席の大ホール(写真4)満席の大ホール
 コロナ禍の感染対策で、チケットには連絡先を記入する欄が設けられています。会場の大ホールは、座席が3席につき1席が緑の布でカバーされていて、密にならないように距離を取っています。13時の開場とともに、すぐに大ホールは満席状態となりました(写真4)。ご夫妻やご友人など二人連れが多いので、2席ずつのディスタンスは、よい工夫と感じました。
(写真5)林座長の挨拶(写真5)林座長の挨拶
 13時30分に開演するとまず、下中座の林美禰子座長の挨拶がありました(写真5)。日本の古典芸能である人形芝居を英語劇で上演しようと考えた切っ掛けは、プロデュースされた横山眞理子さんの熱心な取り組みがあったそうです。そして、コロナ禍でのリモート稽古の苦労話が紹介されました。
(写真6)ナンシーさんとご主人(写真6)ナンシーさんとご主人
 また、脚本・作詞・作曲されたジャズ歌手のナンシー・ハーロウ(Nancy Harrow)さんのご主人は、第二次大戦時、有名な杉原千畝(ちうね)氏の「命のビザ」で日本へ渡り、数ヶ月の滞在後にアメリカに渡った方との紹介がありました。日本との不思議なご縁を感じました(写真6)。また、ナンシーさんは、村人の中に女性がいないと鋭く指摘されたそうです。そういう話にも、世界でのSDGsの意識の高まりを感じました。
(写真7)コーツワース(写真7)コーツワース
 「涅槃に行った猫」は、英語人形劇です。その原作は、1930年(昭和5)にアメリカの児童文学作家であるエリザベス・コーツワース(Elizabeth Coastsworth) (写真7)によって書かれた『The cat who went to heaven』で、当時、ベストセラーとなったそうです。彼女は児童文学に貢献した功績により1931年(昭和6)にニューベリー文学賞を受賞しています。2004年にナンシー・ハーロウさんが作詞作曲して、CDアルバムを制作されました。原作でも舞台は、日本の村です。昭和の初めのアメリカで児童文学に日本を舞台にした物語を描くとは、その後の戦争の歴史を考えると、アメリカの懐の深さに驚いてしまいます。
(写真8)絵師竹斎の家に来た猫は「福」と名付けられた(写真8)絵師竹斎の家に来た猫は「福」と名付けられた
 物語は、貧しい絵師・竹斎の家にお手伝いのお里が猫を連れてくることから始まります。食べ物の代わりに猫が来たので、竹斎は怒りますが、猫の愛らしさに触れて、竹斎は「福」と名付けてやりました(写真8)。
(写真9)涅槃図に猫を書き入れた竹斎は住職に罵倒される(写真9)涅槃図に猫を書き入れた竹斎は住職に罵倒される
 竹斎は寺の住職から涅槃図の製作を依頼されます。仏陀入滅には全ての動物たちが集まり涅槃図に描かれましたが、何故か猫の姿はありません。福は猫が描かれるかと竹斎の周りを巡りますが、猫の姿はありません。それを悲しむ福は食事もとらず日に日に弱っていきます。その様子に竹斎は、猫を描き込もうと決心して右下に後姿の福を描きました。それを見た福は安らかに息を引き取ります。寺の住職は、完成した涅槃図を見て、猫が描かれていることに怒り、竹斎を罵倒します(写真9)。
(写真10)涅槃図で福の頭に釈迦様の手が添えられている(写真10)涅槃図で福の頭に釈迦様の手が添えられている
 燃やしてしまうと、住職は涅槃図を寺に持ち帰ります。翌朝、騒がしく村人たちが涅槃図を持ってきて、奇跡が起きたと竹斎に伝えます。竹斎が涅槃図を見ると、福がお釈迦様を見上げていて、その頭にお釈迦様の手が添えられていました(写真10)。福の願いが通じた涅槃図を竹斎とお里が指差して、幕となりました。
 上演は全て英語で、舞台上部に日本語字幕が写されました。Jazz―Bunrakuと銘打つだけあって、音楽は軽快で楽しいものでした。特に、竹斎とお里が曲に合わせてリズミカルに踊る場面は、文楽の新境地開拓!と感動ものでした。
 下中座公演の第2部は、「伽羅先代萩 政岡忠義の段」でした。この物語の時代設定は鎌倉時代ですが、実は、江戸時代初めに、仙台藩で実際に起った伊達騒動を題材にしています。NHK大河ドラマ初期の「樅の木は残った」も同じ題材です。「伽羅」は香の名木で「めいぼく」と読ませますが、伊達綱宗が贅沢な伽羅(きゃら)の下駄を履いていたことを表わしています。勿論、「先代」は仙台伊達藩の「仙台」です。「先代萩」は、先代藩主の植えられた萩を意味しています。
 物語は、仙台伊達藩を乗っ取ろうとする一派が家督を相続した若君を毒殺しようと図りますが、乳母の政岡は身体を張って毒入りの饅頭を拒絶します。その時、政岡の子・千松が走り出て、毒饅頭を口にして息絶えてしまいます。涙も見せずに政岡は、その場を切り抜けます。日ごろ、千松に忠義を言い聞かせていた政岡でしたが、それでも母です。可愛い息子の千松の亡骸を抱き上げた政岡は、声をふり絞るように「でかしゃった、でかしゃった、でかしゃった・・・」と千松を讃えます。浄瑠璃太夫が見事に母の想いを語り上げる、「政岡忠義の段」の涙を誘う一番の見せ場でした。
(写真11)毒入り饅頭を制する政岡(写真11)毒入り饅頭を制する政岡
 この物語は、以前文楽で見たことがあるのですが、今回は改めて人形たちの衣装の豪華さに目を奪われました。若君を守る政岡の紫の地色の打掛、御家乗っ取りを図る八汐の黒地の打掛、鶴喜代の若々しく派手な衣装、千松の黒羽織は、それぞれの配役の運命を表わしているように見えました(写真11)。
(写真12)政岡の真紅の着付(写真12)政岡の真紅の着付
 そして、若君の身代わりになって毒饅頭を食べて死んだ息子の亡骸に掛けようと政岡が打掛を脱ぐと、真紅の着付が表われます。黒子の黒と千松の黒を背景にして、その真紅の鮮やかさが際立ちました(写真12)。黒子たちは、身体を捩りながら嘆き悲しむ母の姿を見事に操り、下中座の人形遣いの技量に感嘆しました。
(写真13)福を抱いた横山さんへ花束贈呈(写真13)福を抱いた横山さんへ花束贈呈
 最後に、カーテンコールで出演者が勢ぞろいしました。中央にはプロデュースされた横山眞理子さんが立たれ、猫を抱いて花束を受け取られました(写真13)。
(写真14)主役の「福」(写真14)主役の「福」
 公演を観終わってホワイエに出ると、人だかりがしていました。近づいて見ると、主役の「福」を皆さんが取り巻いていました。福はもうすっかり人気者で、すまし顔でたくさんのカメラに収まっていました。(写真14)
 「涅槃に行った猫」は、“Jazz Bunraku”と銘打っただけあって、これまでの伝統的人形浄瑠璃とは異なった舞台が展開されていました。舞台も人形も伝統そのものなのですが、そこにリズミカルな音楽と歯切れのよい英語の台詞が加わって、これまでにない新鮮な演劇世界が展開されていました。文楽そのものを海外で上演するには、江戸時代の日本社会の知識のない外国人には理解が難しいかもしれません。しかし、この「涅槃に行った猫」ならば、理解しやすいように思えます。その意味で、下中座の海外進出の第一歩としてニューヨーク公演を企画し、それを実現して欲しいものだと勝手な思いが湧きました。
(深野彰 記)

2022/03/10 11:22 | 伝統芸能

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