小田原市

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2017年09月06日(水)

御木曳き・立柱式と遠州森町山車引渡式

大鳥居の笠木・杉・長さ12m大鳥居の笠木・杉・長さ12m現在、小田原市では黒田長成公爵の別邸だった清閑亭へのアクセス向上のため、「清閑亭周辺散策路整備計画」で歩道の拡張工事を進めています。そのため「報徳二宮神社」の表参道大鳥居を建て直して、位置を少し奥へ移動させることになりました。昭和4年(1929年)建立の大鳥居は鉄製銅巻きでしたが、新しい大鳥居は小田原らしく小田原の木材を用いることになりました。平成27年から「小田原辻村の森」で御用材の選定が行われ、12月に御用材の伐採が行われました。高さ32m、樹齢約300年の杉の大木4本が神事に則り伐採されました。これらの杉の木は、江戸時代の小田原藩藩主大久保家が植林したのだそうです。江戸時代の空気を吸ってきた木材なのです。小田原の大工職の方々により、御用材は製材・加工されて準備が整いました。そして、8月30日に、鳥居の最上部に据えられる「笠木(かさぎ)」が市民の手により運搬される報徳祭「御木曳(おきひ)き」が盛大に開催されました。
 

遠州森町・山車「本城舘」遠州森町・山車「本城舘」当日の朝7時半に小田原城南側の藤棚駐車場に行くと、笠木が置かれていて出発式を待つばかりでした。そして、笠木の奥には祭の山車(だし)が置かれていました。山車の上には、「蟷螂(とうろう)の舞」の被り物を付けた人形が飾られています。静岡県森町の北島技監が早朝から人形に着付けをして準備をしていました。人形の頭に蟷螂を被せましたが、カマキリの斧は紐で引っ張ると動くカラクリになっています。この日、御木曳きと同時に行われる「遠州森町山車引渡式」で、森町の中飯田町内会所有の「本城(ほんじょう)(かん)」という山車が外郎家に引き渡されるのです。

「本城舘」に造作された螺鈿細工「本城舘」に造作された螺鈿細工中飯田の本城舘は、奇しくも報徳二宮神社の創建と同じ明治27年(1894年)に造られました。森町飯田・山名神社の祇園祭では8台の山車が引き回されますが、本城舘はその中で最も古いものだそうです。それをこのたび作り直すこととなり、古い山車を外郎家が譲り受けたのです。古いと言っても、黒漆塗装も木彫も新品のように綺麗です。正面脇には見事な螺鈿(らでん)象嵌(ぞうがん)細工がありました。中飯田の本城舘屋台建設の榊原委員長に「明治に造られたと思えないほど綺麗ですね。」とお聞きすると、「祭りが雨の日には絶対に出しません。祭りの後は毎回綺麗に掃除して、彫刻の部分は自転車の空気入れでシュッシュと吹いてホコリを落としてきました。」と教えていただきました。120年もの間、先人達が大切にして丁寧に手入れをしてきたからこそ、現在まで新品のように伝わって来たのだと知りました。

市民参加の「御木曳き」・三の丸小学校横市民参加の「御木曳き」・三の丸小学校横9時から御木曳きの出発式が行われ、神職によるお祓いが行われて、出発しました。事前に申し込みをされた約500人の市民の手により行列が三の丸小学校の脇を進みました。報徳二宮神社の御木曳きは今回が初めてですが、次回は50年後とのこと。伊勢神宮式年遷宮のように20年毎であれば次の機会にと思えますが、50年となると次は見れない!と思った人も多かったことでしょう。

山車『本城舘』の引渡式

遠州森町の太田町長(左3人目)他と外郎武氏(右2人目)遠州森町の太田町長(左3人目)他と外郎武氏(右2人目)遠州森町の山車「本城舘」は御木曳き行列の後に続いて出発しました。「遠州森町」と書かれた高張提灯を先頭に、太田康雄森町町長の他、森町の文化を支える森町役場の村松課長、北島技監、加藤主事と外郎武社長が先導して、山車が続きました。

遠州森町の本城舘の行列遠州森町の本城舘の行列笠木には白布が掛けられて白一色の「御木曳き」の後に、赤提灯で飾り付けられた本城舘の赤い山車が来ます。神聖な白の行列と華やかな赤の行列が紅白鮮やかな印象を創っていました。

うねり、あおりながら山車を引くうねり、あおりながら山車を引く毎年7月中旬に開催される森町・山名神社の祇園祭に参加する山車は勇壮です。山車は山名神社の舞殿の周りを何度もうねりながら回り、本殿に激しく突っ込むように参拝します。今回の行列でも、左右にうねり、上下にあおりながら進んでいきました。

馬出門前の式典

「本城舘」の「手振り鐘」を引き渡す「本城舘」の「手振り鐘」を引き渡す「二宮神社の鳥居 皆でひこう ワッショイ ワッショイ」の掛け声と共に進んだ御木曳きの行列は、10時に藤棚駐車場から馬出門前のお堀端通りに到着しました。通り中央に据えられた笠木を背にして式典が開催されました。

高木実行委員長や栢沼教育長の挨拶では、小田原の木の文化や市民の手で御木曳きが行われた意義が語られました。続いて、森町の本城舘建設の榊原委員長から外郎社長へ、「手振りの鐘」が引き渡されました。この鐘は、山車が動き出すときに振られて、カランカランと鳴り響きます。

11時、再び行列は報徳二宮神社に向かって出発しました。御木曳きの行列は、ワッショイの掛け声勇ましく進みました。本城舘山車は、通り一杯左右にうねり、曳き手の若者たちは汗だくで山車をあおっていました。山車には笛太鼓・鉦の演者が乗り込んでお囃子を奏でて、行列を賑やかに盛り立てました。祭りにはお囃子の音が付き物です。威勢の良い掛け声とともに、山車を引く人と沿道の人々の心を弾ませてくれます。

御木曳きの最後の「菓子まき」御木曳きの最後の「菓子まき」二宮神社に到着すると、壇上に並んだ祭員の音頭で手締めがされて、御木曳きは無事終りました。そして最後は、祭りのお楽しみである「菓子まき」です。昔は餅をまいた「餅蒔き」だったそうですが、今ではお菓子です。威勢よく宙に舞うお菓子を子どもだけでなく、大人も競い合って手を伸ばしていました。

「おだわらぬりえ」「おだわらぬりえ」このとき、小学生の子どもたちへは、「おだわらぬりえ」と「小田原学習帳」が配られました。このノート類は、報徳二宮神社の七五三詣で配布していましたが、今年は9月に小田原市内の小学校へ無償配布することにしたそうです。これは市民・企業の寄付を募って実現しました。まさしく、尊徳の教えである「(すい)(じょう)」の精神の実現と言えましょう。菓子まきで午前中の御木曳きの行事は終了しました。

立柱祭

「笠木」の取り付け「笠木」の取り付け午後は、「立柱祭」です。大鳥居工事現場の前に椅子が並べられて、会場が作られていました。横には巨大クレーン車が控えています。立柱式では、神職によるお祓いが行われて、大鳥居の組立が始まりました。まずクレーンが左右の柱用の材を吊り下げ運びます。鳶職の棟梁の指揮の下、作業はゆっくりと慎重に進みました。無事、柱が建てられた次は、「(ぬき)」と呼ばれる笠木の下側の材が取り付けられます。柱に貫が差し込まれると、いよいよ最後は笠木の取り付けです。鳶職3人がかりで、吊り下げられた笠木が柱の頂部に差し込まれました。笠木が、しっかりと柱に据えられると、会場にはほっとしたような空気が流れ、大きな拍手が起こりました。巨大な白木の大鳥居が姿を現して、2時に立柱式は滞りなく終了しました。

文化の創造

「文化を伝える」とよく言われます。また「伝統を守る」とも言われます。どこの歴史ある町でも、文化を伝え守って、子どもたちにも体感して欲しいと願っています。しかし、今日の「御木曳き」と「本城舘引渡し」を見ていて、文化は守り伝えるだけではなく、創り上げていかねばならないのだ、と思いました。「御木曳き」は、小田原初めての行事でした。次は50年後です。

「本城舘」山車は、外郎家から地元自治会へ寄贈されて来年5月の祭りにお披露目されるそうです。小田原に新たな文化が生まれてきます。本城舘山車引渡しは、遠州森町とのご縁より生まれました。そして、地域を大切にする老舗である外郎家の山車の寄贈には、この少子化の時代に次の世代の子どもたちに向けたレガシーとなり、子どもたちが文化を大切にしていって欲しいと願う想いが込められています。文化は地域を越え、県を越え、国境をこえて広がり、そして人々をつないでいきます。小田原の文化が地域に留まることなく、より広い交流に繋がって欲しいと願います。それこそが、現代における文化の継承であり、文化の創造である、と感じた一日でした。(深野 彰 記)

2017/09/06 14:17 | 歴史


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