会場の小田原城天守閣前の広場 「カナガワ リ・古典プロジェクト」は神奈川県にゆかりのある伝統文化を新しい発想で活用し、現代を生きる文化芸術として「再生(Re・リ)」発信する特色ある取り組みです。昨年は、大山阿夫利神社周辺で開催されました。今年は、小田原城周辺が舞台となりました。
開催日の9月19日は、あいにくの雨模様でした。小田原城天守閣下の広場に設置された野外舞台には、テントが張られました。舞台は、天守閣を仰ぎ見る配置でしたが、残念ながらテントがちょっと鬱陶しく見えました。
第二部・市民会館
夜の部は、小田原城下の野外舞台で「薪能」が開催される予定でしたが、雨の降りが酷くなり早々と市民会館での公演に変更となりました。7年ぶりの小田原城薪能の復活を楽しみにされていた方々は多かったと思いますが、残念なことでした。開場前の市民会館大ホールの入口は、長蛇の列ができていました。大ホール1階は、ほぼ満席の盛況でした。
最初の演目は狂言で、人間国宝の山本東次郎師と山本則秀さんの二人による「文蔵」です。太郎冠者が無断で都見物に行ったことを主人が問い質すと、主人の叔父の家でご馳走になったと言います。何をご馳走になったのか気になる主人が聞くと、太郎冠者は食べ物の名を忘れて、「石橋山の合戦」に出てくる名だと言います。主人は、太郎冠者にその名を思い出させるために、物語を語り出します。ここからが、凄い舞台でした。山本東次郎師は、淀みなく長々と石橋山の物語を語ります。一通り語り終って主人が名を問うても、太郎冠者は違うと言います。そのような遣り取りが三度も続きます。そうして、主人が「『おことは誰そ』と尋ぬれば、『真田殿のめのとに文蔵』と答ふる」と読み進めていくと、太郎冠者はそこで止めます。「ああ、それをくだされた」。食べたものは、文蔵ではなく、「温糟粥(うんぞうかゆ)」だったのですが、太郎冠者は「うんぞう」を「ぶんぞう」と聞き違えていたのでした。長々と物語を語らされた主人は呆れて、「それがしによい骨を折らせた。あちへ失せおれ」と太郎冠者を追い払って終わります。
「文蔵」の見どころは、何と言っても山本東次郎師の秀逸な語りです。外郎売の口上と同じように、滑舌の素晴らしさが際立ちます。これが、人間国宝の鍛え抜かれた技なのだと、語りに引き込まれてしまいました。「文蔵」は、話に「石橋山の合戦」が出てくる小田原に所縁のある狂言です。小田原で公演するということで、演目が選ばれたのでしょう。できれば、小田原城天守閣下の舞台で観たかったと思いました。
続いて「能」の舞台で、これも小田原に縁のある「夜討曾我」です。舞台は、日本三大仇討の一つである「曽我物語」です。曽我十郎・五郎の兄弟は、源頼朝が催した富士の巻狩に乗じて父の敵である工藤祐経を討とうと、富士の裾野にやってきます。兄弟は従者の団三郎と鬼王に父の仇討をすると打ち明け、二人を故郷の母のところへ形見の品を持たせて帰そうとします。しかし、団三郎と鬼王は兄弟と最期を共にしたいと願います。
兄弟が許さないとわかると、二人は刺し違えて死のうとします。十郎は驚いてこれを押しとどめ、故郷の母への使者は二人しかないのだと説得し、兄弟は母に文をしたためて、形見を託し団三郎と鬼王を送り出します。あとに残った十郎・五郎兄弟は首尾よく敵の祐経を討ち果たしました。しかし、兄の十郎は討たれてしまいます。弟の五郎はひとりで奮戦しますが、薄衣を纏った御所五郎丸を女と思い油断した所で、大勢に取り囲まれて生け捕られてしまうのです。「夜討曽我」では、後半で能では珍しい立ち回りの場面があります。静々とした所作の舞台が多い能ですが、物語の流れが分かりやすい舞台でした。
「カナガワ リ・古典 2016 in 小田原」で、改めて日本文化の奥深さと広がりを感じることができました。そして、第1部での郷土芸能でも、第2部の狂言や能でも、芸能を身に付け、それを伝え続けるために、それぞれの人々のたゆまない努力が積み重ねられているのだと、感じられる舞台でした。
(深野 彰 記)