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2023年01月26日(木)

小田原三の丸ホールギャラリー回廊 小田原市所蔵美術作品展

(写真1)市所蔵美術品展ポスター(写真1)市所蔵美術品展ポスター
2021年12月9日(金)。
市所蔵美術品展ポスター1月21日(土)から29日(日)まで、小田原・三の丸ホールのギャラリー回廊で、『小田原市所蔵美術作品展』が小田原市文化政策課の主催で開催されています(写真1)。
 
(写真2)三の丸ホール1階ギャラリー回廊(写真2)三の丸ホール1階ギャラリー回廊
また、西海子通りにある旧松本剛吉別邸でも同時開催されています。この展覧会は、小田原市が所蔵する小田原ゆかりの作家の美術作品の展覧会です。小田原市には、千点を超す絵画や彫刻などの美術品が所蔵されて、一部は小田原市本庁舎、小田原文学館、市立病院などの小田原市の公共施設内に常設展示されています。小田原市民であれば、本庁舎のロビーなどで作品を目にしたことがあると思います。しかし、市民が目にできる作品は小田原市市所蔵美術品のほんの一部だけで、ほとんどの作品は、市民の観る機会が極めて限られていました。(写真2)
(写真3)三の丸ホール2階ギャラリー回廊(写真3)三の丸ホール2階ギャラリー回廊
平成29年(2017)から令和元年(2019)にかけて、私もメンバーである「小田原市に美術館を!」を目指して活動している市民団体「おだわらミュージアムプロジェクト(OMP)」が、小田原市市民提案型協働事業制度を利用して小田原市の公共施設(郷土文化館を除く)にある美術品の所在、展示保存状況の現地・現物調査を行いました。OMPは作品タイトル、制作年、作家履歴、現物写真などを整理して、美術作品378点の「小田原市所蔵美術品台帳Ⅰ・Ⅱ」を制作しました。本展覧会では、それらの作品の中から34点が選ばれて展示されています。
(写真4)門松茂夫「仔牛と娘」(写真4)門松茂夫「仔牛と娘」
平成29年(2017)から令和元年(2019)にかけて、私もメンバーである「小田原市に美術館を!」を目指して活動しギャラリー回廊は、1階と2階では雰囲気が異なります。1階回廊は、木張り床に、壁はグレーで重厚な雰囲気です(写真2)。それに対して、2階回廊は、床に赤いカーペットが敷かれ、壁は白く軽快な雰囲気があります(写真3)。34点は、それぞれ魅力的な絵画ですが、私が気になる絵をご紹介しましょう。1点目は、廣本了の「青衣」です。市役所本庁舎を調査していた時、1階南東通用口の脇にある用品倉庫の中に、立て掛けてある数点の絵画を見つけました。「青衣」はその中の一点でした。その絵を見たOMPメンバーの誰もが、服の青色に感嘆し、清楚な雰囲気の女性の魅力に感じ入りました。廣本了は明治32年(1899)に足柄下郡下中村に生れ、東京美術学校(現東京藝大)卒業後、大正14年(1925)に帝展初入選して以降無鑑査となりました。昭和55年(1980)に亡くなりました。この作品は昭和49年(1974)に描かれ、廣本75歳の作とは思えない大作です。倉庫の中にひっそりと忘れ去られたようにあった女性像が、再び市民の前にその姿を表して市民を魅了していることは、調査を担当した者として嬉しい限りです。
2点目は、朝井閑右衛門の「女の顔」です。この作品は、小田原文学館の敷地にある小田原市立図書館の土蔵内の棚に並べて保管されていました。土蔵はエアコンが設置されていて保管状態は良いようです。朝井閑右衛門は明治34年(1901)大阪に生まれ、10代末頃から絵画を学びました。昭和3年(1928)に小田原へ移住し、小説家・牧野信一など小田原付近在住の芸術家や文化人と交流しました。昭和13年から何度も中国へ行き戦争画や風景画を描きました。特異な生涯を送って、昭和58年(1983)に亡くなりました。黄色い帽子を被った面長の女性の顔は、淡い色調で個性的な存在感があります。この絵を目にしたときには、小田原に住んだ朝井閑右衛門の絵を小田原市が所蔵していることに不思議な縁を感じました。
3点目は、門松茂夫の「仔牛と娘」です(写真4)。市立病院1階の眼科前待合室の壁に飾られていましたから、覚えていらっしゃる市民も多いことと思います。牛舎の前で仔牛の顎を撫でている娘の素朴な姿が描かれています。紅白縞模様の服と紺縞の前掛けが印象的です。右上の牛小屋から、仔牛を見守る母牛が頭を出しています。牛小屋の壁には背負子が立て掛けられ、壁には農機具が掛かっています。奥には太い竹で編まれた大きな竹籠が見え、手前には木桶が置かれています。それらが、いかにも農家の納屋の雰囲気を醸し出しています。この作品の制作年代は不明ですが、戦前の小田原近郊の農家の風景を描いたのでしょう。当時の農家の日常が伝わってくるようです。門松茂夫は大正2年(1913)小田原市栄町に生れました。幼い頃から絵が得意で、全国小学児童絵画展で二等賞を受賞しました。一家を支えるため箱根物産玩具製造業の傍ら絵を描いたそうです。昭和12年(1937)二科展に入選した作品が「服を作る女」で、旧小田原市民会館6階ロビーに飾られていました。生地を身体に巻付けて鏡を見る女の姿を描いた作品は力強く、同じ門松茂夫の作品とは思えないほどで、私が市所蔵の中でも最も好きな作品の一つです。門松茂夫は、昭和61年(1986)に亡くなりました。
(写真5)柏木房太郎「雪の山門」(写真5)柏木房太郎「雪の山門」
蔵の中でも最も好きな作品の一つです。門松茂夫は、昭和61年(1986)に亡くなりました。
作品を見ていると気になることがありました。府川貢の「遊牧の民」を眺めていると、顔の鼻の上に白いものがあることに気付きました近づいて見ると、それは絵具が剥落して下地の白が見えていたのです。顔全体に細かいひび割れが入っていて、そのひび割れのために一部の絵具が剥落したようです。それから気になって他の作品も見てみると、柏木房太郎の「雪の山門」の2階の軒下部分にも同じようなひび割れから絵具の剥落がありました。
現在、旧市民会館や市立病院など小田原市の公共施設の建て替えが進んでいます。それぞれの施設に飾られていた美術作品は、取り外されて一時保管場所へ移されています。
小田原市にある美術品の保管場所は現在ほぼ満杯状態で、寄贈品や寄託品の受け入れにも支障をきたしているのが実情と云えるでしょう。保管場所の確保は喫緊の課題です。それと同時に、保管・展示されている美術品の劣化対策も必要となっています。美術館の役割は、美術品の展覧会を開くだけでなく、作品の保管と修復することが重要な機能となります。小田原市には美術館がありませんので、小田原市として美術品の保管と修復をどのような体制で取り組んでいくのか、大切な課題であると思いました。
(写真6)「旧松本剛吉別邸」の会場(写真6)「旧松本剛吉別邸」の会場
作品を見ていると気になることがありました。府川貢の「遊牧の民」を眺めていると、顔の鼻の上に白いもの本展覧会は、三の丸ホールの他に西海子通りにある「旧松本剛吉別邸」も会場として、5点の作品が展示されています。旧松本剛吉別邸は、大正12年(1923)頃に建築された建物です。衆議院議員や貴族院議員を務めた明治・大正期の政治家であった松本剛吉が建てた別邸です。数寄屋風の主屋と茶室「雨香亭」、建物を囲む庭園があります。「雨香亭」は床柱に竹を用いるなど、各所に竹を建築材として用いた珍しい茶室です。
(写真7)上垣候鳥「栗」(写真7)上垣候鳥「栗」
主屋の主座敷を中心に、作品がイーゼルに乗せて展示されています。個人の邸宅に、それも和室に絵画を展示するのは、なかなか難しいと思いますが、主座敷の縁側に飾られた日本画の上垣候鳥「栗」(写真7)は、日本画らしく落ち着いた色調で鄙びた秋の風情を表していて、日本家屋の雰囲気にピッタリと嵌っていました。日本画は、木に囲まれた和室にとても似合うのだと感じました。寒い日曜日でしたが、多くの人々が旧松本剛吉別邸を訪れていました。市民だけでなく観光で訪れた方々にも、小田原の美術文化を紹介する良い機会となっているように思いました。是非お出かけください。
 
◆ 広目子 記 ◆
 
小田原市所蔵美術作品展
日時:令和5年1月21日(土)〜1月29日(日)※旧松本剛吉別邸は1月23日(月)休館
   小田原三の丸ホール:9時〜21時
   旧松本剛吉別邸:10時〜16時
場所:小田原三の丸ホール ギャラリー回廊(神奈川県小田原市本町1丁目7−50)
   旧松本剛吉別邸(神奈川県小田原市南町2丁目1−27)
料金:無料


 

2023/01/26 14:01 | 美術

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