(写真4)門松茂夫「仔牛と娘」平成29年(2017)から令和元年(2019)にかけて、私もメンバーである「小田原市に美術館を!」を目指して活動しギャラリー回廊は、1階と2階では雰囲気が異なります。1階回廊は、木張り床に、壁はグレーで重厚な雰囲気です(写真2)。それに対して、2階回廊は、床に赤いカーペットが敷かれ、壁は白く軽快な雰囲気があります(写真3)。34点は、それぞれ魅力的な絵画ですが、私が気になる絵をご紹介しましょう。1点目は、廣本了の「青衣」です。市役所本庁舎を調査していた時、1階南東通用口の脇にある用品倉庫の中に、立て掛けてある数点の絵画を見つけました。「青衣」はその中の一点でした。その絵を見たOMPメンバーの誰もが、服の青色に感嘆し、清楚な雰囲気の女性の魅力に感じ入りました。廣本了は明治32年(1899)に足柄下郡下中村に生れ、東京美術学校(現東京藝大)卒業後、大正14年(1925)に帝展初入選して以降無鑑査となりました。昭和55年(1980)に亡くなりました。この作品は昭和49年(1974)に描かれ、廣本75歳の作とは思えない大作です。倉庫の中にひっそりと忘れ去られたようにあった女性像が、再び市民の前にその姿を表して市民を魅了していることは、調査を担当した者として嬉しい限りです。
2点目は、朝井閑右衛門の「女の顔」です。この作品は、小田原文学館の敷地にある小田原市立図書館の土蔵内の棚に並べて保管されていました。土蔵はエアコンが設置されていて保管状態は良いようです。朝井閑右衛門は明治34年(1901)大阪に生まれ、10代末頃から絵画を学びました。昭和3年(1928)に小田原へ移住し、小説家・牧野信一など小田原付近在住の芸術家や文化人と交流しました。昭和13年から何度も中国へ行き戦争画や風景画を描きました。特異な生涯を送って、昭和58年(1983)に亡くなりました。黄色い帽子を被った面長の女性の顔は、淡い色調で個性的な存在感があります。この絵を目にしたときには、小田原に住んだ朝井閑右衛門の絵を小田原市が所蔵していることに不思議な縁を感じました。
3点目は、門松茂夫の「仔牛と娘」です(写真4)。市立病院1階の眼科前待合室の壁に飾られていましたから、覚えていらっしゃる市民も多いことと思います。牛舎の前で仔牛の顎を撫でている娘の素朴な姿が描かれています。紅白縞模様の服と紺縞の前掛けが印象的です。右上の牛小屋から、仔牛を見守る母牛が頭を出しています。牛小屋の壁には背負子が立て掛けられ、壁には農機具が掛かっています。奥には太い竹で編まれた大きな竹籠が見え、手前には木桶が置かれています。それらが、いかにも農家の納屋の雰囲気を醸し出しています。この作品の制作年代は不明ですが、戦前の小田原近郊の農家の風景を描いたのでしょう。当時の農家の日常が伝わってくるようです。門松茂夫は大正2年(1913)小田原市栄町に生れました。幼い頃から絵が得意で、全国小学児童絵画展で二等賞を受賞しました。一家を支えるため箱根物産玩具製造業の傍ら絵を描いたそうです。昭和12年(1937)二科展に入選した作品が「服を作る女」で、旧小田原市民会館6階ロビーに飾られていました。生地を身体に巻付けて鏡を見る女の姿を描いた作品は力強く、同じ門松茂夫の作品とは思えないほどで、私が市所蔵の中でも最も好きな作品の一つです。門松茂夫は、昭和61年(1986)に亡くなりました。