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2023年04月21日(金)

『のこす つなぐ よみがえる 小田原市民会館大ホール壁画の記vol.2』を観て来ました。

2023年3月2日から12日迄、三の丸ホール展示室で開催された『のこす つなぐ よみがえる 小田原市民会館大ホール壁画の記憶展 vol .2』を観て来ました。
小田原市民会館大ホール壁画保存修復展実行委員会(以下、実行委員会)の皆さんを始め、沢山の方々による旧市民会館の「赤と青の壁画」への情熱を心身に感じて来ました。
皆さんの情熱を伝えきれる自信は無論ございませんが、私なりにレポートしてみます。
では!
全国どの町に於いても時代の変換に併せ、無くなってしまう場所がある。
小田原の町ならば旧・市民会館はその代表であろう。
長く暮らしている人にとっては人生の節目行事に訪れたり、身近にエンターテイメントを楽しんだ思い出の場所。筆者を含め越して来た人であれば、数多くのエンターテイナーがその舞台に立った伝説の場所。そんな風に捉えている人もいるかも知れない。

そんな旧市民会館の中で近年、地元メディアを中心に報道された大ホール入口に描かれていた赤(1階)と青(2階)の壁画に関する展示イベントが三の丸ホール展示室で開催された。
1962年の大ホールオープン以来、2021年の閉館を迎える迄の59年間。
その壁画が作品として多くの人々の目に止まった時期は本当に僅かな期間であった。
開館時は国道側から、広大なガラス窓越しに1〜2階の大ホールロビーを望める状態だったが、開館3年後の1965年に本館が建ち、大ホール自体が日照面に於いて日陰となった。
それに伴い壁画は時代の流れと共に、それが作品である事も人々に忘れさられて行ったのである(壁画横の長さ。1階赤・約22m、2階青・約12m)。
ここまでは、あくまでも壁画の状況説明である。
旧市民会館本館は小ホールでの各種イベントを始め、嘗ては結婚式場として活用されたり閉館寸前迄、各種展示講習会場として市民生活活動の必須施設であった事は明白周知の事実であり、本館に対しても56年間の歴史に謝意を述べたい程である。
しかし、今から8年前の2015年・春。
壁に記されたサインの発見から、この赤い壁(青い壁)は壁画である事が再確認され、作品解明への動きが起こったのである。
2023年春の時点に於いて、この壁画に関して未だ解明されていない部分も多々あるが、2015年の発見から2023年現在迄の調査軌跡。並びに限られた極一部分ではあるが、壁画を後世に保存して行く過程紹介が今回の記憶展の内容であった。
東海大学芸術学科准教授(修復士。 現:京都大学大学院 人間・環境学准教授)・田口かおり氏監修の元に行われた、作品の引き剥がし〜部分的保存に至る壮大なる作業工程の紹介。
実行委員会・深野彰氏の解説では、
◯旧市民会館建築設計者・吉原慎一郎(※1)。
◯開館時の小田原市長(工事施主)・鈴木十郎(※2)。
◯壁画作者・西村保史郎(※3)。
壁画はこの三者による『劇場は非日常空間である。そこを区切る扉と壁が、俗なる日常から聖なる非日常空間へ入る「結界」であると三人は考えたのではないか。大ホールの赤い壁画こそが、その結界を示す印だったのではないだろうか。(※4)』。
こうした仮説が紹介された。
西湘地区を代表する、様々な芸能、芸術の発信スポットとしての役割を終えた旧市民会館。そこで培われた文化は三の丸ホールは勿論ながら、小田原(並びに近隣市町村)の愛好有志の尽力により、現在も町の画廊やライブハウス等を通じて脈々と受け継がれている事は日々の地域情報をみれば明らかである。

今後、保存された壁画の一部がどのような過程を経て行くのかは未だ発表は無いが、旧市民会館59年の歴史的シンボリックとして未来に受け継がれて行く事を願ってやまない。
追記・・・この壁画が市内の何処かに飾られた際に、それを見た人が・・・
「これなんだろう? 昔の市民会館の壁画か!」から始まり。
◯「子どもの頃、合唱祭やったな」
◯「色んな人のコンサート観に行ったな」
◯「成人式、市民会館だったな」
◯「絵を描く友達がいて、よく市民会館で展示会やってたな」などなど・・・
近い将来、保存された壁画の前で、それぞれの旧市民会館との思い出を語り伝え合う。
そんな会話が聴こえて来たら素敵ですね。

以上、文化レポーター和田っちでした。
※1)吉原慎一郎(建築家)・・・横浜スタジアム等を設計。設計と並行し横浜市戦没慰霊塔、岡倉天心生誕記念碑等も制作。
※2)鈴木十郎(昭和24年より20年間に渡り小田原市長在任)・・・市長在任前は歌舞伎座の支配人を努めた経歴もあり「劇場に必要な物は何か」を知り尽くしていた。
※3)西村保史郎(画家)・・・抽象画を主体に描く画家。偕成社など児童書の挿絵画家としても活躍。1962年、どのような流れで旧市民会館の壁画を担当するに至ったのか?その過程は現在不明である。
※4)パンフレット「のこす つなぐ よみがえる ー小田原市民会館大壁画の記憶」より深野彰氏の文章を引用。

◯文中の名称は、一部恐縮ながら敬称略とさせて頂きました。
◯掲載写真並びに記載情報全般は、会場展示写真とパンフレット「のこす つなぐ よみがえる ー小田原市民会館大壁画の記憶」より転載引用致しました。

                             和田っち 記

2023/04/21 14:30 | 美術

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