御幸の浜海水浴場がオープンすると、小田原も夏本番!
今回は、御幸の浜を中心とした夏の小田原の遊び方について、海のそばで働く「夏遊びの達人」に伺う企画。第一回は、最近話題の「海への扉」のすぐそばに店を構える、ケントスコーヒー店主・平井丈夫さんにお話を伺いました。
小田原出身の平井さんは、民間人として小田原の街づくりに関わったり、街歩きガイドをしたり、小田原を知り尽くす人物の一人。平井さんが子どもの頃は、どんな風に遊んでいたのでしょうか。
「私の実家は箱根口にあって、御幸の浜とプールまで歩いてすぐ。海水パンツに上半身裸でタオルをかけ、国道1号線を渡ってほとんど毎日遊びに行っていました。今も御幸の浜は遊泳範囲をロープで囲っていますが、昔は一番奥に船が一艘出ていました。そこまで全力で泳いで、船に乗ろうとすると怒られる(笑)。帰りは体力がないので、ロープと浮き輪をつたいながら浜まで戻っていました。
プールは今の場所と違って、昔は御幸の浜の右側にあったんですよ。数年前の台風でポンプが壊れてから真水になりましたが、それ以前はずっと海水でした。プールは真水が普通だなんて、子どもの頃は知らなかったですよ!」
「1967(昭和42)年に西湘バイパスが開通する前の御幸の浜は、浜辺がもっと広かったんですよ。日陰がないから、砂浜が熱くて裸足で歩けないので、砂浜にすのこが敷かれていたときもありました。砂浜といえども、御幸の浜は砂利ですが、波で砂をもっていかれてしまうので、砂利で押さえているんですよ」と平井さん。
かつては、ケントスコーヒーのすぐそばに魚市場があったのだそうです。界隈に造船所もあり、御幸の浜から船が出て、漁を行っていたとか。
戦後すぐ、早川に港を作る工事が始まり、平井さんが子どもの頃は「築港(ちくこう)」を呼んでいたそうです。
平井さんはかまぼこ通りにあるシェアハウス「ADDress」の家守(管理人)も行っています。
「住人たちの間で流行っているのは焚き火。今は安全に焚き火ができるキャンプ道具がありますよね。それを使って、火を見ながらぼーっとしたり、ゆっくりとおしゃべりをしたり。その延長で、燻製をする人も増えていますよ」
平井さんご自身は、どんな遊び方をしているのでしょうか。
「ぼーっとしに行きます。海に行くと、ひとりで海を眺めてぼーっとしている人が多いんですよ。それを見ていると、なんだかいいなぁって。何かをするのも大事だけど、何もしないっていうのも大事だなって思いますね」と平井さん。