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2023年07月31日(月)

海のそばで働く“達人”に聞いた 夏の小田原の遊び方(第一回)

御幸の浜海水浴場がオープンすると、小田原も夏本番!
今回は、御幸の浜を中心とした夏の小田原の遊び方について、海のそばで働く「夏遊びの達人」に伺う企画。第一回は、最近話題の「海への扉」のすぐそばに店を構える、ケントスコーヒー店主・平井丈夫さんにお話を伺いました。
小田原出身の平井さんは、民間人として小田原の街づくりに関わったり、街歩きガイドをしたり、小田原を知り尽くす人物の一人。平井さんが子どもの頃は、どんな風に遊んでいたのでしょうか。
「私の実家は箱根口にあって、御幸の浜とプールまで歩いてすぐ。海水パンツに上半身裸でタオルをかけ、国道1号線を渡ってほとんど毎日遊びに行っていました。今も御幸の浜は遊泳範囲をロープで囲っていますが、昔は一番奥に船が一艘出ていました。そこまで全力で泳いで、船に乗ろうとすると怒られる(笑)。帰りは体力がないので、ロープと浮き輪をつたいながら浜まで戻っていました。
プールは今の場所と違って、昔は御幸の浜の右側にあったんですよ。数年前の台風でポンプが壊れてから真水になりましたが、それ以前はずっと海水でした。プールは真水が普通だなんて、子どもの頃は知らなかったですよ!」
ビーチなのに、砂浜ではなく砂利が敷かれている理由
「1967(昭和42)年に西湘バイパスが開通する前の御幸の浜は、浜辺がもっと広かったんですよ。日陰がないから、砂浜が熱くて裸足で歩けないので、砂浜にすのこが敷かれていたときもありました。砂浜といえども、御幸の浜は砂利ですが、波で砂をもっていかれてしまうので、砂利で押さえているんですよ」と平井さん。
かつては、ケントスコーヒーのすぐそばに魚市場があったのだそうです。界隈に造船所もあり、御幸の浜から船が出て、漁を行っていたとか。
戦後すぐ、早川に港を作る工事が始まり、平井さんが子どもの頃は「築港(ちくこう)」を呼んでいたそうです。
平井さんと東海道五十三次の宿場番付平井さんと東海道五十三次の宿場番付
次々と資料を出して、昔の様子を説明してくれる平井さん。海に行く前後にお店に立ち寄って、平井さんに話を聞いたり、資料を見たりするお客さんもいるのだそうです。


東海道五十三次の宿場番付で、なんと小田原は東の横綱! このような貴重な資料が、ケントスコーヒーにはたくさんあります。
あえて何もしないのが、最高の遊び方?
平井さんはかまぼこ通りにあるシェアハウス「ADDress」の家守(管理人)も行っています。
「住人たちの間で流行っているのは焚き火。今は安全に焚き火ができるキャンプ道具がありますよね。それを使って、火を見ながらぼーっとしたり、ゆっくりとおしゃべりをしたり。その延長で、燻製をする人も増えていますよ」
平井さんご自身は、どんな遊び方をしているのでしょうか。
「ぼーっとしに行きます。海に行くと、ひとりで海を眺めてぼーっとしている人が多いんですよ。それを見ていると、なんだかいいなぁって。何かをするのも大事だけど、何もしないっていうのも大事だなって思いますね」と平井さん。
コーヒーを手に、「海への扉」をくぐって、数十秒で海に到着コーヒーを手に、「海への扉」をくぐって、数十秒で海に到着
おいしいコーヒーを片手に、小田原の海を眺めてぼーっとする。夏の喧騒からちょっと離れて、そんなひとときを過ごしてみるのもよさそうです。

併せてお読みください。

海のそばで働く“達人”に聞いた 夏の小田原の遊び方(第二回)

RIE 記

2023/07/31 09:46 | 季節

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