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2014年09月30日(火)

益田鈍翁ゆかりの品展示館

タウン紙の鈍翁(どんのう)ゆかりの品展示館『抹茶にお菓子がついて700円』」と書かれた紙面にこころを奪われ、抹茶を味わいに出かけてみた。駅からその建物のある西海子小路までは、小田原城のお堀り端を通り抜ける。時おり吹く海風がお堀の水面を波立せ、葉桜の街路樹の木々を揺らす。盛夏の木洩れ日は柔らかく心地良い。国道箱根口を横断した。その昔、武家屋敷だった風情が残る。横道に入ると狩野殿小路の電柱に立看板が出ていた。
ここにしかない逸品ここにしかない逸品
■鈍翁IN西海子■
鈍翁は本名を益田孝。(1848年〜1938年)総合商社三井物産の創始者で経済人。晩年は茶人として品川の御殿山から板橋(掃雲台)に移り住む、その縁で隣接地に山形有朋の(古稀庵)別荘がある。実業家の鈍翁が小田原に残した功績は大きく産業も誘致(フジフイルム)し雇用を生み出している。数寄者の彼のコレクションは現在では後藤美術館・畠山記念館・東京国立博物館などに逸散している。西海子にある展示館は、館長の牧野紘一夫人(故人)の祖父母が執事と料理人だった関係で、手紙や自筆の書を中心に、鈍翁が残した身近な品々と収集した秘蔵コレクシンを公開するため、平成13年に自宅を改築した際、展示館と茶室を造った個人が経営する隠れ家的な美術館だ。

写真は山形有朋や平民宰相と呼ばれた原敬などから届いた手紙の宛名を、牧野館長が自費で表装した屏風。
■千利休以来の大茶人■
訪れる人は、近隣はもとより東京や横浜、関西地方からも足を運ぶ。ほとんどの人が口コミで紹介されたり、ネツト検索で展示館を知った人たちで茶道関係者が多い。茶会の回数・茶室の保有数・豊富な種類の茶道具を持ち、東の大茶会大師会と西の大茶会光悦会の会長だった鈍翁が、千利休以来の大茶人と称さる所以(ゆえん)からであろう。茶器に鈍翁自ら書を入れた器は、遊びごころろが垣間見え人柄をしのばせる。掛軸は季節ごとに掛けかえられ、鈍翁・耳庵・幻菴・近代小田原三茶人の条幅が並ぶ圧巻さだ。ここにしかない資料や秘蔵写真は提供され、東の大茶会・大師会の100回記念ポスターや雑誌キャロル、郷土の偉人特集で今秋の新潟日報の一紙面に掲載される。茶室を合わせても20坪程の建物で、一順すると15分ほどで見終る展示品を、鈍翁の身近な生活からビタミンに着目した慶応大学医学部に食用研究所を作った話しまで、館長の知識と話術が飽きさせない。「多才ですね」の質問に「いやあ、頭が良かったんですよ」と嬉しそうに返す。
抹茶は茶室で一服
書道を習っている私は、心を鎮めたい時などは知人に手解きを受けた茶道で簡単に一人、抹茶を楽しむ。掛軸鑑賞をして
お茶が飲める、それも『抹茶・菓子つき』とは千福の幸せと喜んだ。茶室に案内され、躙(にじり)口にかがむと茶室は四畳半とは 感じられない奥行きがあった。薄明りの灯る床の間の掛軸は熊手の絵が書かれていた。鈍翁がことわざ「『おまえ…わしゃ九十九まで』の『九まで』」を捩(よじ)り絵に。ここでも遊びを配置した憎い演出だ。お茶は作法があるが、『それなり』に亭主(館長)がもてなしくれる。茶室の静寂さは保たれたままで和ごむ一時だ。
入館料700円で抹茶を点てて頂ける。季節が変わり展示品が衣替えした時に「また、一服しょう」こころに決めた。

写真:波の音を聴く『聴涛菴』と名付けられた茶室で、鈍翁と刻まれた老舗の落雁と抹茶で手厚いおもてなしを受けた

(記 MOKO)

2014/09/30 15:30 | 美術

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