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2022年02月04日(金)

近藤弘明展:「清秋月光」を観る

(写真1)松永記念館本館(写真1)松永記念館本館
 小田原板橋にある松永記念館の「近藤弘明『幻華』展PartⅡ」も残すところ一週間でした(写真1)。本館2階の会場で当番をしていた日曜日の午後、観覧に来られた方々のご案内をしながら、屏風絵をじっくり見る機会を得ました。
(写真2)本館2階広間に展示された三隻の屏風(写真2)本館2階広間に展示された三隻の屏風
 本館入口脇の階段で2階へ上ると、畳の広間と茶室があります。広間には三隻の屏風が並んでいます(写真2)。右から「月下龍松」、「清秋月光」、「彩秋」です。どの絵にも月と樹木が描かれています。
(写真3)「月下龍松」に隠れた龍(写真3)「月下龍松」に隠れた龍
 右側の「月下龍松」は日本画らしい老松ですが、実は松の中に龍が隠れているのです(写真3)。太い幹を辿っていくと、枝先に龍の二つの眼が見えてきます。その左下には鼻の穴が黒く二つ並んでいます。松葉の一本一本が龍の髭になっています。最初は、画題の「月下龍松」は龍のような松の意味で描かれたとだけ思っていましたが、本当に龍が身を潜めている老松だったのです。ご覧になっている方に「さて、龍は何匹いるでしょうか?」とお尋ねすると、「あッ!ここにもいる!」と龍探しに熱中されます。近藤弘明が「隠し絵」を描いていたことに気付くと、宗教家として硬く生真面目なイメージだけではない、ユーモアのある画家の側面も感じることができます。
 中央に展示された「清秋月光」の制作は2003年ですから、弘明79歳の作品です。見れば見るほど味わい深い屏風絵で、近藤弘明が込めたさまざまな想いが浮かび上がってきました。
(写真4)「清秋月光」(写真4)「清秋月光」
 この二曲一隻の屏風「清秋月光」は、珍しい構図になっています(写真4)。日本画では「月下龍松」のように樹木が下部の地に、月は上空に描かれるのが普通です。ところが、この屏風では逆の配置になっています。画面の上部を覆う紅葉の下に、満月が描かれているのです。弘明は、なぜこのような構図にしたのでしょうか。それは月を主役にしたかったのではないか、と思うのです。描きたかったのは月であって、真紅の紅葉ではなかったのではないでしょうか。そう見ていくと、細部にさまざまな表現が隠れていることが浮かび上がってくるような気がします。
(写真5)「清秋月光」月に現れた観音様(写真5)「清秋月光」月に現れた観音様
 多くの方が、屏風右側の第一扇の中央に描かれた満月の中に、ぼんやりと観音像が浮かんでいることに気が付かれます(写真5)。屏風の前を通り過ぎるだけでは見逃してしまいますが、立ち止まって観れば、形は衣の裾を広げる観音様のお姿です。近藤弘明は多くの作品に満月を描き、まん丸い月の中に観音像を書き込んでいます。夜空に白く輝く満月は神秘性を帯びて、人々の信仰心を呼び覚ますのかもしれません。
(写真6)「清秋月光」の水平線(写真6)「清秋月光」の水平線
 「清秋月光」には、よく観ないと気が付かない描写が隠れています。屏風は本来畳に直接置かれますから、屏風を観るときは畳に座って観るようにお薦めしています。その目線の高さに作者の意図が感じ取れると思うからです。屏風右側の第一扇の下部には横に一線が引かれています。とても薄く描かれているので気付きにくいのですが、水平線のように見えます(写真6)。畳に座ると目の高さに、このこの水平線がよく見えるのです。この水平線によって、絵に手前の草花に対する遠近感が生れていることに気付きました。
(写真7)「清秋月光」の黄蝶(写真7)「清秋月光」の黄蝶
 屏風左側の第二扇の左に黄蝶が描かれていて、すぐそこに目がいきます(写真7)。この蝶がいなくても絵にはなると思うのですが、弘明はなぜたった蝶一頭だけを目立つように描いたのでしょうか。実は、この広間の屏風は高さ10cmほどの台の上に置かれているのです。
 畳に直接置かれていれば、畳に座ったときの目線高さは黄蝶になるのではないか、と思いました。そうであれば、弘明の最も中心的な主題とは、この黄蝶にあるのではないかと想像できます。蝶は右上に向かって羽ばたいています。右上には大きな満月が描かれ、月には観音様が浮かび上がっています。蝶は観音様に向かって飛んでいるのではないでしょうか。79歳という歳を考えれば、弘明自身が孤高の黄蝶となって観音の懐へ向かっていきたい、との想いがあったのかもしれません。
(写真8)岩陰から射す僅かな陽光(写真8)岩陰から射す僅かな陽光
 「清秋月光」は、題名が示すように月が描かれていますので夜の風景であるように見えますが、時間を示すヒントが隠されています。屏風左側の第二扇の左下隅に描かれた岩陰が、ぼんやりと光っています(写真8)。明け方の僅かな陽光ではないかと感じました。その陽光は、右下に射し流れて青い花の後ろを照らしています。岩の右側の空には、ちぎれ雲が薄い黄金に光輝いています。これらの描写から、「清秋月光」は曙の心象風景を描いたと考えられるのです。これらは私の勝手な想像です。近藤弘明は静かに瞑想をしてから夜中に絵筆をとったそうですから、明け方になって絵筆を置く頃に、「清秋月光」の光景が心に浮かんだのかもしれません。「清秋月光」は、近藤弘明の心象をよく表している屏風絵であると感じることができました。
(写真9)本館入口の白梅とメジロ(写真9)本館入口の白梅とメジロ
 本館と別館の間の白梅は既に満開になっていました。梅枝が揺らぐのでよく見ると、メジロが梅花をついばんでいました。この梅の木にはメジロがよく来るのだそうです。立春も間近な季節になったことをメジロが教えてくれました。
(深野彰 記)

2022/02/04 11:00 | 美術

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