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2021年12月22日(水)

近藤弘明「幻華」展 PartⅠ

(写真1)近藤弘明「幻華」展チラシ(写真1)近藤弘明「幻華」展チラシ
 12月8日から19日まで、小田原・三の丸ホール1階の展示室で『近藤弘明「幻華」展』が開催されました(写真1)。小田原市が主催し、おだわらミュージアムプロジェクトとグループ「想」が協力しました。小田原に住んでいる人でも、日本画家・近藤弘明の名を知っている人は、それほど多くはないかもしれません。1976年(昭和51)52歳で東京板橋区から小田原へ転居して板橋に「寂静居」を建て、アトリエを設けました。2015年(平成27)90歳で亡くなるまで、そのアトリエで創作活動を続けられ、多くの弟子を育てられました。
 近藤弘明は、1924年(大正13)東京下谷の天台宗の寺院に生れ、幼年期より絵に親しんで育ったそうです。1943年(昭和18)に東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科に入学し、山本丘人に師事して本格的に日本画を学びました。卒業後は、丘人が創設に加わった美術団体「創造美術」から「新制作派協会」、「創画会」を中心に作品を発表して活躍しました。
 近藤弘明の作品は、全国各地の美術館に収蔵されています。私が最初に近藤弘明の作品を見たのは、若いころに東京竹橋にある「東京国立近代美術館」に展示されていた華の作品でした。チラシにも使われた「黄泉の華園」にあるような幻想的な白い華が描かれていました。その華の絵が、妙に印象に残りました。もう何十年も前で、近藤弘明はまだ40歳台と思われますが、その頃には既に、近藤弘明の幻想的な絵は、日本画の新しいジャンルを切り開いたと評価されて美術館に収蔵されていたのでしょう。
(写真2)「春照華」1984年作(写真2)「春照華」1984年作
 近藤氏は「花」ではなく「華」を画題に用いています。華は「はなやかなこと」「色彩が美しいこと」「輝き」「光」などの意味があります。仏に捧げる花は、「仏華」です。この展覧会のタイトルである「幻華」は近藤氏の造語ですが、近藤氏が「花」ではなく「華」を用いたのは、その言葉のもつ精神性を感じたのでしょう。「春照華」と云う絵がありました(写真2)。展覧会で私が気に入った絵の一つです。透明感ある白い華が印象的でした。
(写真3)91歳の来場者(写真3)91歳の来場者
 「寂園」と題された観音像に見入るお婆さんの姿がありました。訊ねると日本画を描かれているそうで、厚木の友人から教えてもらい来場されたそうだ。91歳だそうですが、丁寧に作品を鑑賞されていました(写真3)。
(写真4)細密な金線の描写(写真4)細密な金線の描写
 今回の展示では、2点の観音像が出品されています。その一つが「寂園」です。この仏画は、1971年近藤氏47歳の作品です。暗黒の背景に金泥の極細線で観音像が描かれています。近藤氏は、幼い頃から僧侶の父親から仏画の手ほどきを受けていたそうです。その技量は、美術学校で更に磨かれたことでしょう。普通、絵を見るときに10cmの近さまで顔を近づけることはありません。ところが、この観音像は顔を近づけないと、近藤弘明という画家の技量は分からないのです。仏画は線が命です。描きたい輪郭線を迷わず一気に引かなければなりません。この観音像では胸の辺りの描写技巧が尋常ではないのです(写真4)。狭い幅に何本もの極細線が何本も描かれているのは、たゆまない修練の賜ものでしょう。来場者に「もっと近づいて見て下さい」とお願いすると、皆さん驚かれ、「言われなければ気付かなかった」と反応されました。
(写真5)「豪火(下絵)」1973年作(写真5)「豪火(下絵)」1973年作
 近藤弘明の絵の特徴は、透き通る白い華が知られていますが、もう一つの特徴は赤色でしょう。赤と云っても、「朱」色です。それがよく現れている作品が「業火(下絵)」です(写真5)。業火とは、地獄の罪人を焼く猛火のことです。この「業火」では、紅蓮の炎が地を這い、彼方へと果てしなく続く地獄絵になっています。地獄へ落ちた罪人は、この業火からもはや抜け出すことはできず、永遠に炎に焼かれ続けるのです。近藤弘明は、鮮烈な朱色を用いて、地獄の光景を表しました。この絵には罪人の姿が見当たりません。その代わり、中央部に白い蝶が飛んでいます。これは地獄を救う仏の蝶なのでしょうか。或いは、罪人の魂が業火に焼かれて蝶へ化身したのでしょうか。
 近藤弘明はスケッチをしなかったそうです。 

 「私は桜なら桜を描く時、春の内に花を見に行くが、花を前にして写生をした思い出は何故か無い。また今も写生をしようとは思わない。・・・私は花が散ってしまった頃、静かに想い出して描くのが好きだ」
(写真6)「春祷」2000年作(写真6)「春祷」2000年作
 と言っています。彼は夜に絵を描いたそうですが、しばらく静かに瞑想をして心を落ち着かせてから、絵筆をとったそうです。絵が心に姿を現すのかもしれません。「春祷」と題された絵の桜は、長興山の桜だそうですが、やはり心に浮かんだ桜の樹なのでしょう(写真6)。木下に祈る姿の仏僧がシルエットになって描かれています。近藤弘明自身の姿なのかもしれません。
(写真7)「止観明静」1982年作(写真7)「止観明静」1982年作
 「幻華」と題された近藤弘明の展覧会で、人気があった作品は「止観明静」です(写真7)。近藤氏らしい幻想的な風景の中に、透ける衣をまとった観音が立って右手を胸に当てています。慈悲深い優しいお顔立ちというよりも、強いt想いを込めた厳しい表情をしているように見えました。左下には、やはり透き通った白い華が描かれています。
 「現実の花、空想の華、いずれにしても、存在感は同一である。現実の花は現実以上に空想的であり、空想の華は空想以上に現実的でなければならない。」
 と言っています。此岸と彼岸の狭間の淡い光の中に咲く空想の華は、近藤弘明氏にとって、瞑想の中に現実として現れた華だったのではないでしょうか。
(写真8)会場風景(写真8)会場風景
 ゆったりとした展示室で鑑賞できた展覧会でした(写真8)。来年1月8日(土)から1ヶ月間、松永記念館でPartⅡが開催されます。是非お出かけください。
(深野彰 記)

2021/12/22 13:52 | 美術

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