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2022年01月18日(火)

近藤弘明「幻華」展 PartⅡ

(写真1)近藤弘明「幻華」展 PartⅡ(写真1)近藤弘明「幻華」展 PartⅡ
 昨年末の小田原・三の丸ホール展示室での『近藤弘明「幻華」展』PartⅠに続き、小田原板橋にある松永記念館にてPartⅡが開催されています(写真1)。松永記念館では、別館の1・2階展示室と隣接する本館の1・2階の4会場で絵画の展示が行われています(写真2)。池に面して左の建物が本館です。本館は昭和34年(1959)に松永耳庵自身が指図して建てられました。右の建物が別館で、展示室と事務所があります。別館の展示室にはガラス・ショーケースが設置されて、美術品を保護して展示ができます。本館の1階もショーケース展示ですが、2階では畳の和室にケースなしで屏風などが展示されていますので、近藤弘明の作品を間近に拝見することができます。
(写真2)庭園から左・本館、右・別館(写真2)庭園から左・本館、右・別館
 それでは、松永記念館へ入りましょう。門を通り右手の別館に入ります。正面に受付があり、拝観料は500円です。受付の右側へ進むと1階展示室があります(写真3)。展示室に入ると、右側のショーケースの中に横1.3m×縦1.8mもある大作「黄泉の華園」があります。1974年の作品で、第1回創画展に出品されました。
(写真3)別館1階展示室(写真3)別館1階展示室
「創画会」は昭和49年(1974)に結成された日本画家の団体ですが、その母体は終戦直後の昭和23年(1948)に、山本丘人、橋本明治、上村松篁などの日本画家たちが結成した「創造美術」です。近藤弘明は山本丘人に師事していましたから、その関係で創画会の結成に参加したのでしょう。「黄泉の華園」は近藤弘明の1970年代を代表する作品です。本展覧会のチラシにも用いられています。
 1階展示室の正面には、幅が2mもある「寂映」が掛かっています。昭和42年(1967)の作品で、第9回日本国際美術展に出品されました。中央下の白い華に目が行きますが、黒い岩肌の山を背景にした色とりどりに咲き乱れる華園に、蝶が舞い、月が上ります。宇宙の見知らぬ惑星に幻惑される世界が広がる近藤弘明の宇宙観を示す作品です。
(写真4)別館2階展示室・正面に「止観明静」(写真4)別館2階展示室・正面に「止観明静」
 近藤弘明のモチーフは「華と祈り」です。祈りの象徴としての観音像も多く描かれました。三の丸ホールのPartⅠで人気のあった観音像の「止観明静」も、別館2階の正面に展示されています(写真4)。この展示室には、赤い空を背景に透明な衣をまとった観音が白い華を前に祈る「寂夜幻像」や、岩山に観音の姿がほのかに浮かび上がる「出幻」などの観音の絵が展示されています(写真5)。
(写真5)「出幻」1976年作(写真5)「出幻」1976年作
「出幻」では赤い花と月が描かれ、いかにも近藤弘明の世界です。近藤弘明は、このような風景をどこかで見たのでしょうか。それとも、心に浮かんだ様々な記憶を合成したイメージだったのでしょうか。幻影と呼ぶのに相応しい風景は、近藤弘明が日本芸術大賞を受賞した時の主旨「ひとつの神秘的空間を示す画業」を象徴するものでしょう。
(写真6)別館2階展示室・「三界流転図」部分(1982年作)(写真6)別館2階展示室・「三界流転図」部分(1982年作)
 2階のショーケースに「三界流転図(般若心経)」があります。巻物のような長い絵です。右側の絵は、紺色に荒れる海の上を蝶が渡り鳥のように並んで飛翔しています。それが左へと進むうちに、いつの間にか地上は紅蓮の炎に変わっていき、蝶は炎へ飛び込んでいきます。画面には摩訶般若波羅蜜多心経の経文が白字で書かれ、蝶の生き様を表しているようです。左側のショーケースの絵巻では、一転して明るい光の中を蝶が舞い、中央には赤く燃える山の手前に玉が光芒を放っています。左へ進むと、茅輪のようなリング状の岩を蝶たちが潜り抜けていき、白い華の群生の宙に黄金の観音が出現してきます(写真6)。「三界流転図(般若心経)」は、宇宙の流転を表す壮大な絵巻物です。
 別館を出て本館へ向かいましょう。別館の階段踊場から本館へ移動できます。
(写真7)「冬の花」1993年作(写真7)「冬の花」1993年作
 本館1階にも対策が並んでいます。「つきみ野」は、黄色い花の群生で、円形の雪山と青い月が印象的です。その隣の「冬の花」は、近藤弘明には珍しく、いかにも日本画らしい冬景色です(写真7)。ふくよかにうねる雪原の左端ぎりぎりに、黄梅のような華をつける枝が上に伸び、右端の枯れ枝も雪原のアクセントとなっている大胆な構図です。奥に昇る朧げな赤い陽が、静謐で幻想的な風景画にしています。正面に展示された「華園久遠」は、1984年に制作された四曲一隻の大作です。これまでの華園の集大成と云えるものでしょう。
(写真8)「菩薩行」1984年作(写真8)「菩薩行」1984年作
 本館の2階は茶室になっています。入口のすぐ右側に「菩薩行」の軸が屏風に掛けられています。濃紺地に金線で観音像が描かれています(写真8)。観音の光背が大きく広がっています。左手は祈るように胸まで挙げられ、右手には弘明らしい赤い華を下げています。左手奥には小さな月も描かれています。繊細な線で薄い衣が見事に描かれて、その透明感は絹と云うよりも天の羽衣はこのようであった、と思わせます。
(写真9)本館2階広間の三隻の屏風(写真9)本館2階広間の三隻の屏風
 広間には、屏風が3隻展示されています(写真9)。右から「月下龍松」「清秋月光」「彩秋」です。「月下龍松」は日本画題らしい松ですが、松葉の一本一本が繊細な線で丁寧に描かれています。それでいながら、狩野派のような雄渾さも感じます。近藤弘明が幅広く日本画を学んできたことが分かります。近藤弘明の絵には、華と観音がよく描かれていますが、もう一つ、月がほとんどの絵に描き込まれています。弘明自身は、月ではなく惑星と云ったと、弟子であった田代勉さんが小田原史談に書かれています。陰としての月と云うよりも、控えめな存在でありながら、世界を闇夜から救い出す光芒放っているように見えます。
(写真10)「清秋月光」月に現れた観音(写真10)「清秋月光」月に現れた観音
 「清秋月光」に描かれた月の中に、ぼんやりと観音像が浮かんでいることに気が付きました(写真10)。一瞬月面の模様のように見えて見逃してしまいそうですが、確かに形は衣の裾を広げる観音様のお姿です。近藤弘明は、月の光に観音を感じたのでしょう。それが、弘明の月から感じる暖かさなのかもしれません。
(写真11)近藤一弥氏ギャラリートーク(写真11)近藤一弥氏ギャラリートーク
 1月15日(土)に、近藤弘明の御子息である近藤一弥氏のギャラリートークがありました(写真11)。幼いころから父の画業を間近で見聞きしてきた体験を踏まえたトークは、近藤弘明の背景を知るうえで大変興味深いものでした。本館1階の「花と仏」前で、父はルドンが好きだった、との解説がありました。ギリシャの女神のような観音の端正な横顔が描かれ、その光背の横の赤・緑・青の大胆な配色が、いかにもルドン風の色合いであると感じられました(写真11)。題名からは、この三色が花のようです。2010年作とありますから、晩年の作品です。もはや、近藤弘明が描きたいとの情念で描いてきたモチーフから離れ、自身が好きなルドンの世界に浸る喜びを描いたのであろう心情が伝わってくるように感じました。
(写真12)「花と仏」(写真12)「花と仏」
 本館と別館の間に、枝ぶりの見事な白梅の古木があります。もう既に三分咲となっていました。記念館の職員の方から、松永記念館で最初に咲く梅だ、と聞きました。展覧会の後に、まだ春には早い季節に梅花を愛でながら、耳庵の住居だった「老欅荘」へ巡るのも一興です。
(写真13)本館入り口の白梅(写真13)本館入り口の白梅
 見ごたえのある『近藤弘明「幻華」展』PartⅡは、2月6日(日)まで開催されています。是非お出かけください。
(深野彰 記)

2022/01/18 08:47 | 美術

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