古文書・寳金剛寺文書 12通 (ほうこんごうじもんじょ)
概説
寳金剛寺は、国府津山医王院(いおういん)と号し、寺伝によると、天長6年(829)の創建で、創建当時は地青寺(じしょうじ)と呼ばれていました。
その後、弘治2年(1556)に後奈良天皇の勅により、現在の寺号である寳金剛寺に改められたといいます。
東寺真言宗に属し、近郷31寺の本山でした。このため、数多くの優れた仏像、仏画や文書類が所蔵されています。
文書では、密教において師弟間で大法や秘法が伝授・継承される際、その証拠として弟子に授受される印信6通と、戦国大名北条氏と寳金剛寺の関係がうかがい知れる、寺領安堵状など戦国期の文書6通が指定されています。
その後、弘治2年(1556)に後奈良天皇の勅により、現在の寺号である寳金剛寺に改められたといいます。
東寺真言宗に属し、近郷31寺の本山でした。このため、数多くの優れた仏像、仏画や文書類が所蔵されています。
文書では、密教において師弟間で大法や秘法が伝授・継承される際、その証拠として弟子に授受される印信6通と、戦国大名北条氏と寳金剛寺の関係がうかがい知れる、寺領安堵状など戦国期の文書6通が指定されています。