古文書・寳金剛寺文書 13通 (ほうこんごうじもんじょ)
概説
寳金剛寺は、国府津山医王院(いおういん)と号し、寺伝によると、天長6年(829)の創建で、創建当時は地青寺(じしょうじ)と呼ばれていました。
その後、弘治2年(1556)に後奈良天皇の勅により、現在の寺号である寳金剛寺に改められたといいます。
東寺真言宗に属し、近郷31寺の本山でした。このため、数多くの優れた仏像、仏画や文書類が所蔵されています。
文書では、密教において師弟間で大法や秘法が伝授・継承される際、その証拠として弟子に授受される印信6通と、戦国大名北条氏と寳金剛寺の関係がうかがい知れる、寺領安堵状など戦国期の文書6通に加え、京都にある真言宗宝菩提院(ほうぼだいいん)の僧亮恵(りょうけい)が寳金剛寺の栄伝(えいでん)に、宝菩提院の末寺として約束を取り交わしている間は、必ず上洛の上、法を受けるよう指示したと考えられる「僧正亮恵本末契状(そうじょうりょうけいほんまつけいじょう)」1通が令和5年に追加指定されています。
その後、弘治2年(1556)に後奈良天皇の勅により、現在の寺号である寳金剛寺に改められたといいます。
東寺真言宗に属し、近郷31寺の本山でした。このため、数多くの優れた仏像、仏画や文書類が所蔵されています。
文書では、密教において師弟間で大法や秘法が伝授・継承される際、その証拠として弟子に授受される印信6通と、戦国大名北条氏と寳金剛寺の関係がうかがい知れる、寺領安堵状など戦国期の文書6通に加え、京都にある真言宗宝菩提院(ほうぼだいいん)の僧亮恵(りょうけい)が寳金剛寺の栄伝(えいでん)に、宝菩提院の末寺として約束を取り交わしている間は、必ず上洛の上、法を受けるよう指示したと考えられる「僧正亮恵本末契状(そうじょうりょうけいほんまつけいじょう)」1通が令和5年に追加指定されています。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717